数日後、二人は再び鳴海屋を訪れた。
応対に出たのは、前と同じく治助だった。
部屋へ上がる前に、理一郎は庭の奥へ出て、離れ跡の位置を確かめた。
それから二人は前に通された部屋へ入った。木鷽を置いていた天板は、変わらずそこにあった。
理一郎は持参した木箱を脇へ置き、磁針を取り出した。
見立て通り、離れは天板からみて南西にあった。
木箱を天板へ載せる。
まず、嘴を離れ跡から外した。
治助には少し離れてもらう。
異紀が傍らにつく。
「開ける」
蓋を持ち上げる。木鷽が露わになった。
息が胸に入る。
「入った」
異紀の声とほとんど同時に、蓋を戻す。
閉じると、胸の張りがほどけた。
「今ので、出たな」
次に、木箱の向きを天板に沿わせた。庭の奥、離れ跡の方角だった。
箱の中で、木鷽も南西を向いている。
もう一度、蓋を上げる。
待つ。呼吸は変わらない。何かが先に動くこともなかった。
「出てない」
異紀が告げた。
蓋を閉じる。
分館では、南西で作用が出た。ここでは、同じ南西で出ない。
違うのは、その先に離れ跡があることだった。
「これで確認できました」
立ち上がって振り返る。
治助が、こちらへ寄ってきた。
「この木鷽を開けると、人が普段、言葉や行動にかけている抑えが弱くなるようです。ただ、その出方は、置く向きによって変わります。蓋を閉じれば、人への作用は収まります」
天板の木箱を示す。
「嘴が離れ跡から外れている時には、普段なら口にしないことや、表に出さずに済ませているものが、出やすくなります。考えてもいないことを言わせるものでもありません。人の記憶や判断そのものが失われるわけでもありません」
天板には、閉じた木箱と磁針が残っている。
「言葉だけではありません。行動や、物を選ぶ時にも同じ傾向が出ました。同じ部屋にいるだけでは、同じ変化は出ませんでした」
治助は黙って聞いていた。
「こちらで試した限りでは、作用が出たのは蓋を開けた者です。私と久遠では、どちらもそうでした。ただ、試したのは私ども二人だけです。鳴海屋で、木鷽を出した本人だと確認できたのも、佐和さんだけです。開けた者に限る、とまではまだ言えません」
離れ跡は、この壁の向こうにある。
「この天板をこの位置で使うなら、南西へ向ける今の置き方で合います。ただ、この先、台や置く場所を替えるなら、基準にするのは天板でも、南西という方角そのものでもありません」
木箱の木鷽は、離れ跡を向いていた。
「離れがあったところ。そこへ向けてから、開けてください」
示された方向を、治助はしばらく見つめた。
「では……いっそ、開けずにしまっておく方がよろしいのでしょうか」
理一郎が答えるより先に、異紀が口を開いた。
「閉じたままでも、すぐ何かが起こるいうことはないと思います」
木箱へ、異紀の顔が向いた。
「閉じちゅう間は、わしには、この中に留まっちゅうように感じます。離れがあった方へ向けて開けると、それがそちらへ抜けていく」
「……抜ける」
「これは、わしの見立てです。何がどう動いちゅうのか、そこまでは分かりません」
木箱は、南西を向いたまま天板に載っている。
「けど、戻す先が分かっちゅうなら、わしなら戻します」
そこから先を、理一郎が引き取った。
「少なくとも、離れ跡へ向けて開いた場合、人への作用は出ませんでした。開けること自体をやめる必要はないと考えています」
「これまで通り、出しても」
「ええ」
治助はゆっくり頷き、庭の奥へ顔を向けた。
「では、離れとこの木鷽は……あそこで昔亡くなられたという方とも、何か関わりがあるのでしょうか」
「関係がある可能性はあります。ただ、こちらで確認できたのは、離れ跡との位置関係までです。亡くなられた方との関係までは判じられません」
異紀が受け取ったものは、それより先にある。
離れ跡にあるものと、木鷽の中にあるもの。そこまでは、鳴海屋へ渡した。
同じものが、人へ入り、抜ける。そのことは、伏せると決めていた。
火事があった。離れで人が亡くなった。
残っているのは、その二つだった。
「では……佐和があの席で申しましたことも、これの影響だったのでしょうか」
「あの時の置き方なら、変化が出てもおかしくありません」
張っていた治助の肩が少し緩んだ。
「ただし、その時に作用が出ていたかどうかまでは断定できません。口にした内容が事実かどうかも、こちらでは判じられない」
治助の肩が、元の高さへ戻った。
「……そうですか」
「けんど」
異紀が治助の方へ向き直った。
「ひとつ言うたことだけで、その人を決めんでえいと思います」
その言葉に、治助が顔を上げた。
「木鷽がどう働いたかと、佐和さんがこれまでどんな人やったかは、別やき」
少し置いて、理一郎も続けた。
「長く見てきたものがあるなら、それも事実です。この一件だけで、そちらまで捨てる必要はないでしょう」
治助の口が動いた。声になるまでに、少しかかった。
「……ありがとうございます。離れがあったところへ向けてから、開ける。今度は、そのように申し送ります」
「ええ。詳しいことは、後ほど文面にしてお渡しします。扱いに迷われたら、また呼んでください」
木箱は、治助の手へ戻った。
◇
鳴海屋を再訪してから、数日が過ぎた。
午後、理一郎は最後の一枚を重ねた。ひと息入れようと腰を浮かせる。
「えいよ」
向かいから異紀が言った。
「わしが行く」
異紀はもう席を立っている。
「頼む」
執務室を出て、湯沸所の方へ向かっていった。
理一郎は椅子へ座り直した。
机の上には、提出を待つ書類が揃っている。
木鷽について、こちらで取れるところはもう取った。鳴海屋へ返すものも返した。
あとは提出するだけだ。
異紀が盆を持って戻ってきた。
理一郎の前へ湯呑みを置く。続いて、小皿が一つ並んだ。
白くひらいた五弁の練り切りに、黒文字が添えてある。
「買うたがか」
「夕顔やったき」
そう言って、異紀は自分の湯呑みと皿を持って席へ戻った。
――あれを、拾うたか。
黒文字を取った。
花弁の端を切り、口へ運ぶ。柔らかな甘みがほどけた。
向かいでは、異紀も練り切りを切っていた。
切った分を食べ、茶を飲む。また黒文字が皿へ下りる。
理一郎は、異紀が次を口へ運ぶところまで見ていた。
「……何?」
「いや」
異紀はそれ以上聞かず、残りを平らげた。
理一郎も、自分の練り切りへ黒文字を入れた。