理玄異聞録 第8話「木鷽」|第10章 夕顔 ――拾いて、返す

 数日後、二人は再び鳴海屋を訪れた。
 応対に出たのは、前と同じく治助だった。
 部屋へ上がる前に、理一郎は庭の奥へ出て、離れ跡の位置を確かめた。
 それから二人は前に通された部屋へ入った。木鷽を置いていた天板は、変わらずそこにあった。

 理一郎は持参した木箱を脇へ置き、磁針を取り出した。
 見立て通り、離れは天板からみて南西にあった。
 木箱を天板へ載せる。
 まず、嘴を離れ跡から外した。

 治助には少し離れてもらう。
 異紀が傍らにつく。

「開ける」

 蓋を持ち上げる。木鷽が露わになった。
 息が胸に入る。

「入った」

 異紀の声とほとんど同時に、蓋を戻す。
 閉じると、胸の張りがほどけた。

「今ので、出たな」

 次に、木箱の向きを天板に沿わせた。庭の奥、離れ跡の方角だった。
 箱の中で、木鷽も南西を向いている。
 もう一度、蓋を上げる。
 待つ。呼吸は変わらない。何かが先に動くこともなかった。

「出てない」

 異紀が告げた。
 蓋を閉じる。
 分館では、南西で作用が出た。ここでは、同じ南西で出ない。
 違うのは、その先に離れ跡があることだった。

「これで確認できました」

 立ち上がって振り返る。
 治助が、こちらへ寄ってきた。

「この木鷽を開けると、人が普段、言葉や行動にかけている抑えが弱くなるようです。ただ、その出方は、置く向きによって変わります。蓋を閉じれば、人への作用は収まります」
 天板の木箱を示す。
「嘴が離れ跡から外れている時には、普段なら口にしないことや、表に出さずに済ませているものが、出やすくなります。考えてもいないことを言わせるものでもありません。人の記憶や判断そのものが失われるわけでもありません」
 天板には、閉じた木箱と磁針が残っている。
「言葉だけではありません。行動や、物を選ぶ時にも同じ傾向が出ました。同じ部屋にいるだけでは、同じ変化は出ませんでした」
 治助は黙って聞いていた。

「こちらで試した限りでは、作用が出たのは蓋を開けた者です。私と久遠では、どちらもそうでした。ただ、試したのは私ども二人だけです。鳴海屋で、木鷽を出した本人だと確認できたのも、佐和さんだけです。開けた者に限る、とまではまだ言えません」
 離れ跡は、この壁の向こうにある。
「この天板をこの位置で使うなら、南西へ向ける今の置き方で合います。ただ、この先、台や置く場所を替えるなら、基準にするのは天板でも、南西という方角そのものでもありません」
 木箱の木鷽は、離れ跡を向いていた。
「離れがあったところ。そこへ向けてから、開けてください」
 示された方向を、治助はしばらく見つめた。
「では……いっそ、開けずにしまっておく方がよろしいのでしょうか」
 理一郎が答えるより先に、異紀が口を開いた。

「閉じたままでも、すぐ何かが起こるいうことはないと思います」
 木箱へ、異紀の顔が向いた。
「閉じちゅう間は、わしには、この中に留まっちゅうように感じます。離れがあった方へ向けて開けると、それがそちらへ抜けていく」
「……抜ける」
「これは、わしの見立てです。何がどう動いちゅうのか、そこまでは分かりません」
 木箱は、南西を向いたまま天板に載っている。
「けど、戻す先が分かっちゅうなら、わしなら戻します」
 そこから先を、理一郎が引き取った。

「少なくとも、離れ跡へ向けて開いた場合、人への作用は出ませんでした。開けること自体をやめる必要はないと考えています」
「これまで通り、出しても」
「ええ」
 治助はゆっくり頷き、庭の奥へ顔を向けた。

「では、離れとこの木鷽は……あそこで昔亡くなられたという方とも、何か関わりがあるのでしょうか」
「関係がある可能性はあります。ただ、こちらで確認できたのは、離れ跡との位置関係までです。亡くなられた方との関係までは判じられません」

 異紀が受け取ったものは、それより先にある。
 離れ跡にあるものと、木鷽の中にあるもの。そこまでは、鳴海屋へ渡した。
 同じものが、人へ入り、抜ける。そのことは、伏せると決めていた。
 火事があった。離れで人が亡くなった。
 残っているのは、その二つだった。

「では……佐和があの席で申しましたことも、これの影響だったのでしょうか」
「あの時の置き方なら、変化が出てもおかしくありません」
 張っていた治助の肩が少し緩んだ。
「ただし、その時に作用が出ていたかどうかまでは断定できません。口にした内容が事実かどうかも、こちらでは判じられない」
 治助の肩が、元の高さへ戻った。
「……そうですか」

「けんど」
 異紀が治助の方へ向き直った。
「ひとつ言うたことだけで、その人を決めんでえいと思います」
 その言葉に、治助が顔を上げた。
「木鷽がどう働いたかと、佐和さんがこれまでどんな人やったかは、別やき」

 少し置いて、理一郎も続けた。
「長く見てきたものがあるなら、それも事実です。この一件だけで、そちらまで捨てる必要はないでしょう」
 治助の口が動いた。声になるまでに、少しかかった。
「……ありがとうございます。離れがあったところへ向けてから、開ける。今度は、そのように申し送ります」
「ええ。詳しいことは、後ほど文面にしてお渡しします。扱いに迷われたら、また呼んでください」
 木箱は、治助の手へ戻った。

◇

 鳴海屋を再訪してから、数日が過ぎた。
 午後、理一郎は最後の一枚を重ねた。ひと息入れようと腰を浮かせる。

「えいよ」
 向かいから異紀が言った。
「わしが行く」
 異紀はもう席を立っている。
「頼む」

 執務室を出て、湯沸所の方へ向かっていった。
 理一郎は椅子へ座り直した。
 机の上には、提出を待つ書類が揃っている。
 木鷽について、こちらで取れるところはもう取った。鳴海屋へ返すものも返した。

 あとは提出するだけだ。
 異紀が盆を持って戻ってきた。
 理一郎の前へ湯呑みを置く。続いて、小皿が一つ並んだ。
 白くひらいた五弁の練り切りに、黒文字が添えてある。

「買うたがか」
「夕顔やったき」

 そう言って、異紀は自分の湯呑みと皿を持って席へ戻った。
 ――あれを、拾うたか。
 黒文字を取った。
 花弁の端を切り、口へ運ぶ。柔らかな甘みがほどけた。

 向かいでは、異紀も練り切りを切っていた。
 切った分を食べ、茶を飲む。また黒文字が皿へ下りる。
 理一郎は、異紀が次を口へ運ぶところまで見ていた。

「……何?」
「いや」

 異紀はそれ以上聞かず、残りを平らげた。
 理一郎も、自分の練り切りへ黒文字を入れた。