小説をつくるのにAIを使っている。
しかし、私もGPTも常に同じではない。
私は生身の人間で、昨日と同じとは限らない。GPTにはモデルチェンジがある。
だから、時々様子を見ることにしている。
自分の中にいる人物と、AIが認識している人物は、同じものを見ているのか。
その確認を兼ねて、たまに登場人物へ作文のお題を出している。
今回のお題は、「好きな花」。
最初は、標本医の志岐理一郎から。
志岐理一郎「好きな花」
最初の出力で、理一郎はこう書き始めた。
花について詳しいわけではない。
名を知っちゅうものも多くないし、珍しい品種を見分けることもできん。
ここで止めた。
理一郎は標本医だ。
人や動物の標本だけを扱う人ではなく、動植物の形態や分類にも通じている。花について「詳しくない」と言い出す人物ではない。
「標本医なのだから、動植物には詳しい」と指摘して、もう一度書いてもらった。
二回目は、同じ白梅の話でも、入口から変わった。
志岐理一郎「好きな花」
好きな花を一つ挙げるなら、白梅や。
梅にも種類がある。
花を観るために改良されたもの、実を採るもの、枝が垂れるもの。花弁の数も、色も、萼のつき方も違う。同じ白花でも、蕾のうちは薄う色づくものがあるし、開いたあとまで紅を残すものもある。
俺が好きながは、一重の白梅や。
五枚の花弁が重なりすぎず、中心の雄蕊まで見えるものがえい。八重も見事ではあるが、花のつくりを眺めるなら一重の方が分かりやすい。
香りも、白梅の方が好みに合う。
鼻へ残るほど強くはない。木のそばを通った時、先に一度だけ届く。どこから来たか確かめて、枝を見上げる頃には薄うなっちゅう。
梅は、花の時期に葉がほとんどない。
どの枝から花芽が出たか、前年に伸びた枝がどこで止まったか、木全体を見れば分かる。古い枝の樹皮は割れ、切られた箇所には癒合した跡が残る。そこから別の枝を伸ばして、また蕾をつける。
花だけなら、もっと華やかなものはある。
牡丹は花弁の重なりが見事やし、藤は一つの花序に多くの花を下げる。桜は、咲いた時の木全体がえい。山百合は、花被の反りも斑点もよくできちゅう。
どれも見る。
花弁の形、雄蕊と雌蕊の位置、花が枝へ付く向き、香りが出る時間。虫が来れば、どこへ止まり、何を運ぶかも見る。
その上で、白梅へ戻る。
家の庭にも一本あった。
野梅に近い木で、幹は太くなかった。南へ伸びた枝はよく花をつけたが、北側は毎年遅れた。蕾の数が多い年でも、冷えが戻れば開かんまま落ちるものがある。
子供の頃は、花より実を見よった。
結実した数、虫の入り方、斑点の有無。熟す前に落ちた実は割って、中まで確かめた。家では薬や保存食にも使うき、花が終わってからの方が長う見ていたと思う。
それでも、最初の一輪は毎年覚えちゅう。
同じ木でも、咲く日は一定せん。
気温だけで決まるものでもない。日照、風、前年の枝の状態、その冬に受けた傷み。いくつも重なって、開く時が変わる。
やき、早う咲いたから強いとも、遅いから弱いとも言えん。
その年の木が、その年の条件で咲いただけや。
江都へ出てからも、梅を見れば足を止めることがあった。
知らん土地の木でも、枝ぶりを見れば手入れの仕方が分かる。強く切り戻されたもの。長う放っておかれたもの。花を多くつけるため、細い枝を選んで残されたもの。
人の手が入っても、木はその通りに育つとは限らん。
残された枝が枯れ、切るつもりやったところから芽が出ることもある。整えた形を崩して伸びた枝に、よい花がつく年もある。
そこが面白い。
以前、異紀と歩いちゅう時に、古い白梅が咲いていた。
異紀は花の正面へは行かず、幹の裏へ回った。
何を見ゆう、と訊いたら、空いたところ、と答えた。
枝が一本失われ、幹に大きな跡が残っちょった。その上から伸びた若い枝に、三輪だけ花がついていた。
俺は傷の塞がり方を見ていた。
異紀は、その三輪を見ていたらしい。
同じ木を見ても、拾うところは違う。
どちらが正しいということでもない。
好きな花は、白梅や。
花のつくりが見える。
木が過ごしてきた時間も、隠れん。
毎年同じようには咲かんところも含めて、俺はあの花が好きや。
理一郎が選んだのは、一重の白梅だった。
花弁や雄蕊、萼、枝の伸び方、剪定の跡まで見ている。
花の印象だけを語る文章ではなく、木がどう育ち、どこを切られ、どの枝へ花をつけたかを追う文章になった。
一回目と二回目で、好きな花そのものは同じだった。
変わったのは、その花を見る人物の目だった。

このあと、理一郎本人として、白梅の絵も描いてもらった。
梅をその場で見ながら描いたような、硬筆の素描になった。
枝の節や蕾、開きかけの花まで線で拾っている。
久遠異紀「好きな花」
次は、書記官の久遠異紀。
こちらは一度目の出力を、そのまま通した。
異紀は、理一郎の白梅の作文を読んでから、少し考えた。
「一つに決めるがか。花は咲く場所で、だいぶ違うのにねえ」
久遠異紀「好きな花」
一つ選ぶなら、朝顔や。
色は何でもえい。
青も、紫も、白も見る。縁だけ色の違うものも、筋の入ったものもある。同じ種から育てても、少しずつ違う花が出ることがあるらしい。
そういう違いを見つけるがも面白いけんど、わしが好きながは、朝に開くところや。
蕾のうちは、花弁が細う畳まれてねじれちゅう。
夜のあいだに少しずつほどけて、空が白うなる頃には口を開く。咲く瞬間をずっと見張っていても、いつ変わったか分からんことがある。
さっきまで蕾やったものが、次に見た時には花になっちゅう。
あれがえい。
昼になれば、もう萎み始める。
せっかく開いたのに早いと思うけんど、花の方は惜しんでおらん。朝に咲いて、暑うなれば閉じる。見た者がおっても、おらんでも同じや。
初めは、花は長う残る方がえいと思いよった。
形が崩れん方が見やすいし、記録もしやすい。咲いた日から何日保ったかも比べられる。
けんど、朝顔は一つの花が終わっても、次の日には別の蕾が開く。
昨日の花と今日の花は同じやない。
同じ蔓に咲いちょっても、色の出方も、花弁の開き方も違う。雨の朝は重そうに開くし、暑い朝は早う萎む。
毎日見ても、同じものは見られん。
そこが好きや。
蔓が伸びていくところも面白い。
支えになるものを探して、先の方が動く。細い蔓やのに、棒や縄へ巻きついたら、上まで登っていく。
何もなければ、地面を這う。
どちらでも育つけんど、咲く場所は変わる。
以前、分館の裏で朝顔を育てたことがある。
誰が植えたものかは知らん。土の端から芽が出て、気づいた時には細い蔓が壁際まで伸びちょった。
志岐は、戸の開け閉めに絡むと言うて、支柱を立てた。
抜けとは言わんかった。
細い竹を一本立てて、倒れんよう根元を固めた。蔓は次の日には、もうそちらへ巻きついちょった。
志岐は、自分が立てた竹やのに、朝ごと花を見ていた。
見ておらんと言うかもしれん。
戸を開ける時、花の数を確かめよっただけやと言うやろう。
けんど、萎んだ花を取らずに残した日があった。
種を採るためやと説明するかもしれんが、わしは訊かんかった。
秋になって、丸い実が乾いた。
中には黒い種が入っちょった。
あんな薄い花のあとに、次の年まで残る硬いものができる。花を見ただけでは、種の形までは分からん。
終わったように見えても、まだ先がある。
朝顔は、一日しか咲かん花やと言われる。
けんど、ほんまは一日で終わるわけやない。
蔓が伸び、蕾ができ、朝に開いて、閉じたあとに種が残る。そのどこを花の終わりにするかで、見え方が変わる。
わしは、朝に開いたところを見るがが好きや。
昨日の続きやのに、昨日とは違うものが出てくる。
今日はどんな花か、戸を開けるまで分からん。
好きな花は、朝顔や。
長う残らんところも、次々咲くところも、どちらも好きや。
異紀が選んだのは、朝顔だった。
朝に開いて、昼には萎み始める一輪。
昨日と同じ蔓に咲いていても、昨日とは違う花。
蔓が伸び、蕾ができ、花が閉じ、そのあとに種が残るところまで見ている。
理一郎が、木に刻まれた年月と構造を見る。
異紀は、毎朝変わる一輪と、そのあとに続くものを見る。
同じ「好きな花」という題でも、見ている場所が分かれた。

異紀の絵は、墨を基調に、朝顔へ淡い青を置いたものになった。
筆を扱う書記官なので、水墨画に淡彩を加える方向を指定した。
蔓と葉は墨で取り、花だけに色が入っている。
そして、頼んでいないのに署名と印まで入った。
理一郎の素描には署名がない。
異紀の墨絵には署名がある。
その違いまで、二人らしく見えてしまう。
ずれていた一回目
最初に出てきた、理一郎の作文も残しておく。
理一郎は題を見て、庭木を思い出すように少し考えた。
「花の名を挙げるだけなら、すぐ終わるが」
志岐理一郎「好きな花」一回目
好きな花は、梅やと思う。
花について詳しいわけではない。名を知っちゅうものも多くないし、珍しい品種を見分けることもできん。
梅は分かる。
冬の終わり、まだ朝の水が冷たい頃に咲く。枝には葉がなく、花の位置も、幹から分かれた筋も、そのまま見える。
咲いた花だけ見るなら、ほかにも綺麗なものはある。
けんど、梅は木ごと見た方がえい。
古い枝には曲がったところがある。切られた跡から、新しい枝が出ちゅうものもある。傷んだ箇所を抱えたまま、別の方向へ伸びて、春になれば花をつける。
形が整っておらん木ほど、どこを残してきたかが分かる。
そこが好きや。
香りもえい。
強くはないが、風向きによって先に届く。花を探して見上げる前に、近くで咲いちゅうと分かる時がある。
昔、家の庭にも梅があった。
毎年、咲く日は違う。暖かい日が続いても開かん年があり、雪が残っちゅうのに、一輪だけ出ることもあった。
子供の頃は、花より実の方を見よった。
いくつ生ったか。虫が入っておらんか。風で落ちたものは使えるか。家の者が採る前に、枝の下を通るたび確かめていた。
花を好きやと思うたのは、家を出てからかもしれん。
梅を見ても、実を採る時期や保存の仕方を考えんで済むようになった。咲いちゅうものを、咲いちゅうまま見られる。
それでも、花だけを飾るより、枝に付いちゅう方がえい。
切った枝を否定するつもりはない。部屋へ置けば香りも分かるし、近くで形を見られる。
ただ、どこから伸びて、何を支えに咲いたかまでは見えんようになる。
花は、そこだけで咲いちゅうわけではない。
根があり、幹があり、去年までの枝がある。寒さを越えて、時期が来たら開く。
梅は、それを隠さん。
異紀は、花を見つけると近くへ行く。
香りを確かめるかと思えば、枝の下から見上げたり、蕾を数えたりする。何を見ゆうか聞いても、毎回答えが違う。
以前、梅の前で長う立ち止まったことがあった。
何か聞こえるかと訊いたら、別に、と答えた。
ただ咲いちゅうき見よった、と。
それでえいのやと思う。
役に立つか、何が分かるかを考えず、咲いたものを見る。
俺には、まだ少し難しい。
けんど、梅なら立ち止まれる。
来年も咲くとは限らん。枝が折れることも、木が弱ることもある。
それでも、今年咲いた一輪は、今年のものや。
好きな花は梅や。
寒い時に咲くからではない。
傷を隠さん枝に、花が付くからや。
文章そのものは、白梅を選んだ理由まで書けていた。
古い枝の傷、切られた跡、新しく伸びた枝。
理一郎らしいところも、途中にはある。
それでも冒頭で、「花に詳しくない人物」として置かれてしまった。
最初の数行がずれると、その後の文章も、少しずつ違う人物の上へ積まれていく。
AIが人物をまったく認識していないわけではない。
白梅を選ぶことも、木の傷を見ることも、すでに出力の中にあった。
ただ、持っている情報が、毎回同じ解像度で取り出されるとは限らない。
ずれる時もあれば、最初から合っている時もある。
ずれた時に「違う」と止められるのは、作者がその人物を知っているからだ。
止めたあとは、何がずれたのかを見る。今回ずれていたのは、選んだ花ではなく、書き出しの姿勢だった。だから「標本医なのだから動植物には詳しい」と、職能を指して言い直させた。
ずれの種類によっては、指示ではなく資料の方を直すこともある。毎回同じところがずれるなら、こちらの書き方が足りていない。
言い直したあとに出てきた文章を読んで、「そう、それ」と戻せる。
一方で、異紀のように一度で通ることもある。
その時の出力には、自分の中にいる人物と重なるものがある。
一致と不一致の間を行き来しながら、人物の輪郭を確かめていく。
今回、理一郎は白梅を選び、異紀は朝顔を選んだ。
梅の枝は硬筆の線で残り、朝顔の蔓は墨の中を伸びた。
『理玄異聞録』本編
『理玄異聞録』は、近代の京洛を舞台にした怪異観測の連作です。
標本医の志岐理一郎が形を測り、書記官の久遠異紀が声を写す。
理だけでは測り切れないもの、
異だけでは残せないものを、
共に並び立って記していく物語です。
一話ごとに事件は完結します。