まず断言する。
理一郎が標本医でなかったら、決して手に取らなかった。
標本医とは、理玄異聞録の独自の職種であり、
病理・感染経路・形態学の側から、骨・臓腑・構造を測る医学者を指す。
本文内では、動態外、生きものの名残を読む専門家として置いている。
もっと直接的に言うなら、死物を扱う人、である。
治療の医というより、構造を崩さず扱う医で、保存・処置・衛生・記録が仕事の中心になる。
そして、彼がみる主な対象は以下のとおりである。
動物
骨格 / 皮 / 臓器 / 組織 / 虫類・菌類を含む各種標本
植物
乾燥標本 / 封入標本 / 変異個体 / 薬用素材
素材
鉱物 / 器物 / 擬生命的な変質素材
人体由来
髪 / 皮膚 / 骨 / 組織など
さて、ここから、話を少しずつ本書に戻していく。
私は、生き物は人並みに好きだが、標本や骨には全くといいほど興味がなかった。
むしろ、怖い、薄気味悪いとさえ思っていた。
虫に関しては人並み以上に苦手で、その中でも蝶はあまり好きな部類ではない。
あれを見ると、死んでバラバラになってしまったときのことを想像してしまう。
その感覚の出どころは、おそらくヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』にある。
あの話で覚えているのは、ポケットの中で蝶が砕けてしまう場面だ。
二度と元には戻らないという絶望と喪失感。
危険を冒してまで手に入れようとしたのに、結局何も得られないどころか、負の遺産だけが手の内に残ってしまう。
何一ついいことがないという後味の悪さが、ずっと嫌だった。
しかも、もう二度と手に入らなくなったものが、死骸そのものだという感じが、いまだに苦く残る。
もともとの性質にこの記憶が重なって、蝶、そして標本類全体への忌避感が強まったのだと思う。
博物館に行って、動物や鳥類の標本があっても、目をそらし、ほとんど素通りする。
骨はまだいい。生々しさが削られている。
恐竜の化石には圧倒される。
そんな私が、登場人物の一人である志岐理一郎を標本医にした。
標本医は、冒頭でも述べたように架空の職種だ。
実在しないとはいえ、理一郎は医者であり、病理学、疫学、そして生物学、博物学に精通している専門家だ。
私とは全く違った視点・思考で世界を観て、測る人だ。
彼の視線に近づきたい。
そして、今はまだ只中にある本編の先にある――いつか鯨と向き合うことになるであろう理一郎の未来を先取りしたい。
そういう思いで、本書を手に取った。
読んでいて驚いたのは、文体の瑞々しさだった。
「世界をカエル 10代からの羅針盤」というシリーズの一つで、対象が10代だから読みやすい、というのはあるだろう。
しかし、執筆当時、30代くらいであったであろう著者が書いたものであるにもかかわらず、
私の中の「若者」の部分に響いてくる感じがしたのだ。
10代の著者が、10代のわたしに語り掛けてくるような。そんな文体だった。
親しみがあり、馴れ馴れしくなく、隣で生き生きと話してくれているような、そんな感覚だった。
読み終わってから気づいたのだが、筆者は私と同世代だった。
筆者が学生時代に哺乳類のはく製を作り、外国に留学し、何か月もかけて南極に行き、鯨を見に行く。
それは遠い過去ではなく、私が学生だった時、大学生だった時、社会人として働いていた時、同時期に起こっていたことだった。
何て違う人生だろう。
興味も、見たものも、足を運んだ場所も、あまりに乖離している。
読みながら、著者の体験、私の人生、そして、理一郎の歩み。
この三つを照らし合わせていた。
著者が実際に標本を作るシーンで四苦八苦しているのを読み、骨格標本を作るというのはなかなかな重労働であると再認識した。
読み進めているうちに、漠然と考えていた「理一郎は研究室に籠りっきりの人間ではなく、野山に出て現地調査もしていた」という「設定」が、現実味を帯びていった。
骨格標本を作るときの手順が、だいぶ具体的に、生々しく想像できるようになったのも良かった。
10代向けに書かれているぶん具体的さが程よく、内臓系が苦手な私にはありがたかった。
「骨はまだいい。生々しさが削られている」
先にこれを書いたとき、自分でも何が「まだいい」のか、うまく言葉にできていなかった。
今ならもう少し言える。
骨は、生きていた時の名残がすでに消えている。
生と死の間が、だいぶ開いた感じがする。
乾いていて、瑞々しさがない。
剥製は、それとは違う。
無理やりその場に生をとどめているもの、という感じがする。
本来そんな形で残されるべきものではないのに、後から人が見るために作られる。
そこに、わずかに冒涜的なものを感じてしまう。
骨は、結果としてそこに残っている。
標本にするために骨にすることはあっても、骨そのものは生のあとに残された痕跡に過ぎない。
剥製は、その逆を行く。
死を、生であるかのように差し戻す。
私が忌避していたのは、おそらくこの「差し戻し」の方だったのだと思う。
本を読み終えて、ほんの少し、理一郎のものの見方に近づけた気がした。
これから理一郎がどんな形で鯨と向き合うことになるのか、ここではまだ書けない。
ただ一つ言えるのは、その時の理一郎は、標本医としての顔を保ったまま、
自分でも気づいていないわくわくを内側に抱えて、その仕事に取り組むはずだということだ。
仕事の顔と、本人も知らない高揚と。
その両方を抱えたまま骨に向き合う理一郎を、私はもう少し先で書くことになる。
この本は、その手前にある、ささやかな予習だった。
おまけ――骨を読む人

机の上には、『クジラの骨と僕らの未来』が伏せてある。
灯の色が、表紙に薄く落ちていた。
理一郎は本には触れなかった。
ただ、鯨を見ている。
「骨は、遠い」
理一郎が言った。
「もう、戻らんところにある」
異紀は目を伏せた。
「剥製は」
「触れる距離に、置いてしまうものや」
理一郎は、表紙から目を離さなかった。
異紀は、少し間を置いた。
「……それは、わしらも同じやね」
灯が揺れた。