小話|泰西秋季風俗比較陳列 ——写る

 十月も終わり、本館から回付が来た。
 封を切った異紀は、一枚目を眺め、二枚目へ移ったところで眉を上げた。 理一郎は傍らの席で、標本瓶の受領控えを書いている。
「何だ」
「んー」
 異紀は一度頭を掻いた後、二枚目を見ながら口を開いた。
「『幽明の境を越え、死者と生者が一夜を分かつ泰西の秋の祭礼は、本邦の盆、百鬼夜行とも響き合う民俗の妙にして——』」
 本館からの回付が格調高く始まる時は、大抵、後ろに何か付いている。
「『——ついては、特例事象観記掛より二名、衣装を着用のうえ写真に収まられたし』」
 筆先が紙から離れた。
「俺の耳がおかしくなったか。写真、と、聞こえたが?」
「いんや、写真で間違いない」
「なら、奇矯なのは本館の方か」
「志岐さん、言うようになったねえ」
「俺にも限度はある。——主旨は理解したが、手段の合理性には異論有、だ。いったい何の資料にするつもりだ」
 異紀が今しがた読み上げた回付書をよこしてきた。
 一枚目には、『泰西秋季風俗比較陳列 協力方依頼』とあった。
 二枚目をめくってみる。
 泰西の一部地域では、十月末、死者や異形のものを模した装いをし、灯火を飾る風習があるという。今回、本館ではこれを「泰西民俗紹介」の一環として取り上げ、本邦に伝わる文化、怪異、妖怪の表象との比較陳列を行う。
 そこまでは、まだ分かった。問題は、その次だった。
「俺たちである必要あるか。資料なら衣だけ撮ればいい」
「わしもそう思う」
「標本人形にでも着せれば済む話だ」
「衣装はもう出来ちゅうらしいで」
 異紀が手に残った別紙を理一郎の机に滑らせた。
 『各人の職掌を参考として意匠を調整済』
 二人分の衣装図がある。片方は黒地で、袖から胸へ白い骨が走っていた。
 理一郎は紙を引き寄せる。
「まったく、標本医を何だと思っている」
「骨に詳しい人」
 理一郎はじろりと異紀を見てから、衣の胸郭のあたりへ目を落とした。
 肋骨は十二対。下の二対は短い。
 もう一度数えた。
 ——合っている。
「……浮遊肋まで描いちゅう」
「まんざらでもなさそうやね」
 理一郎は答えず、紙を異紀に返した。
 ——断るなら、今のうちだ。
 そう思いながらも、肩峰から背側へ続く肩甲棘が、衣の上でどう取られているのかが頭の端に残っていた。

◇

 三日後、本館の衣装室で、理一郎は自分の袖を持ち上げていた。
 墨黒の地に紅葉と金糸。その間を、白い骨格が肩から手首まで降りている。
 身頃には、肋骨、脊柱、骨盤。意匠として少し崩してはあるが、骨格のつながり自体は真面目だった。
 図で見るより出来がいい。
 そこだけかえって腹が立つ。
「これ、どの図譜を見たんだ」
 近くにいた若い衣装係へ尋ねると、すぐに書名が返ってきた。高等教育で用いられる生理学の教科書だった。
「学務局からお借りしまして。肩のところは三人がかりで見ましてん」
「随分……、手をかけているな」
「それはもう。志岐先生が着はるいうことでしたさかい。一人が描いて、二人が図譜と見比べまして」
 理一郎は袖を見る。
 肩の継ぎ目も、ぴたりと合っていた。
「どうでしょう、合うてますやろか」
 係の者はわずかに身を乗り出し、次の言葉を待った。
「骨に間違いはない。よほど丹念に見比べたんだな」
 衣装係の顔が明るくなった。
「よかった。骨盤は帯で隠れてしまいますけど、見えへんところにこそ力を入れまして」
 自分の腰を押さえて、思わず振り返る。が、当然ながら帯の下の衣は見えない。
「後でよく見てみます」
「ぜひ!」
「志岐さん」
 そうこうするうちに、衝立の向こうから異紀が出てきた。
 生成りから灰紫へ移る衣に、紅葉。その合間に、白く丸いものがいくつも散っている。
 頭らしい丸みに、点が二つ。下は布の裾のように垂れ、足がない。
 袖にも、背にもいる。
「……その白いのは」
「泰西の幽霊を、本邦風にしたらしい」
 二人で異紀の袖を見た。
 衣装係が横から言った。
「白い布だけやと少し寂しい思いまして、お顔を付けたんです」
 異紀が袖を広げる。
 一匹ずつ、目の位置が違う。
「これ、寄り目や」
「あ、それは筆が滑りまして」
「えいね。わし、これが好き」
 異紀は袖を返して、裏側まで探し始めた。
 理一郎は自分の腕の骨を見る。簡略化されているが、誤ったところはない。
 隣では、寄り目の幽霊が気に入られている。
 同じ衣装係が作ったものとは思えなかった。
「そもそも、着物でよかったのか?泰西の異形の仮装をするのではなかったのか?」
 その問いに答える者は、どこにもいなかった。

◇

 撮影は、分館の一室で行われた。
 ランプ、硝子瓶、骨格標本。
 幾つもの黒塗りの箱。
 吊り下げられた灯。
 乾燥させた鬼灯。
 運び込まれた紅葉の枝には、紙を折って獣の形にした小さな飾りや、異国の術式めいた印のついた木札まで結ばれていた。
 そして、積まれた箱の上に、なぜか三毛猫の三福がいた。
 首には赤黒の紐と、小さな鈴。 白い幽霊まで一匹ぶら下がっていた。
 異紀がしゃがんで幽霊に手を伸ばす。
 三福は逃げなかった。
 むしろ胸を張った。
「おまんまで着せられたが」
 異紀が三福の頭を撫でると、首の鈴がちりんと音を立てた。
「三福も?」
 写真師が笑った。
「先ほどから、どうしてもここを退いてくれはりませんので」
「‥‥‥資料用の写真と聞いているが?」
 衣装係が奥から声を出した。
「せっかくですし、そのままでええのと違いますやろか」
「ほいたら一緒に撮ればえいね」
 三福は我関せずと、前足を舐めている。
 理一郎は首の紐をちらりと見た。きつくはなさそうだった。
「……もう知らん」
 異紀が三福の首元を整えた。
「よう似合うちゅうね」
 三福は機嫌よく一声鳴くと、おもむろに紅葉の方を向いた。
 つられてそちらへ目を向けると、枝に吊るされていた紙の獣が、風もないのに揺れた。 二人とも見た。 異紀が一歩下がる。
「……あれ、ほんまに飾り?」
「言うな。そのままにしておけ」
「観測官がよういう」
「事象として持ち込まれない限りは管轄外だ」
「仕事熱心なこと」
「どうとでも言え」

◇

 一枚目は立ったまま撮った。
 三福は箱の上から動かず、二人よりよほど行儀よく写真に収まった。
 二枚目になると、理一郎は黒塗りの箱へ座るよう言われた。
「ここへ?」
「へえ、そこへお願いします」
 一度、箱の角を押す。
 写真師が言った。
「大丈夫です。頑丈に出来てますさかい」
 軋まないのを確認して、理一郎は腰を下ろした。
 異紀はその後ろへ回る。
「久遠さん、もう半歩こちらへ。——へえ、その辺りで」
 背後で衣擦れがした。
「もう半歩、志岐先生の方へ寄ってもろえますか」
 来る。
「もう少し」
 さらに来る。
 理一郎が写真師を見る。
「近くないか」
「装束がうまいこと収まりませんので」
「距離を詰めたらかえって全体が見えなくならないか」
 返事がなかった。
「おい、今、聞こえていただろう」
 異紀が背後で小さく笑った。
「もう諦めや」
 写真師が覆いの下から顔を出した。
「そのままでお願いします」
 理一郎は前を向いた。
 その時、三福が箱から降りた。
 床を横切り、理一郎の膝へ前足を掛けた。
 袖を二度ほど踏み、当然のように腿の上へ乗る。
「ここは違う」
 三福を両手で抱え、腰を上げようとすると、
「そのまま!」
 写真師の声が飛んだ。
 理一郎は三福を見下ろした。
「俺に言っているのか?」
「ええ。猫は行儀よくしてはります」
 確かに、三福は膝の上で前足まで揃えていた。
「……分かった」
 後ろから異紀が身を乗り出して、理一郎の膝元を覗き込んだ。
「博物局の二枚目役者は三福に決まりやね」
「看板猫にでもするか」
 三福は目を細め、すっかりくつろぎ始めている。
「もう座長の顔しちゅう」
 三福が喉を鳴らし始めた。
 低い音が腿から伝わってくる。
「……寝そうやね」
 異紀が小声で言った。
 理一郎は膝を見る。
 三福は目を閉じかけていた。
「この状況でよう寝られるな」
「温いがやろ」
 異紀は笑いながら身を起こし、理一郎の肩に片手を置いた。
 理一郎の背が固くなる。
 肩越しに異紀を振り返った。
「あ、そのままで」
 写真師が覆いの下から声を出した。
「このまま?」
「へえ、そのままで」
 異紀の目がこちらを向いた。
 肩へ掛かる重みはほとんどない。
 膝では三福が温かい。
「十と少し、動かんといてください」
 写真師が乾板の具合を確かめている。
 十は、まだ始まらない。
「ほな、参ります」
 今度こそ十が始まった。
 撮影が終わると、異紀の手が肩を離れた。
 三福はまだ動かない。
「終わったぞ」
 理一郎が背を撫でると、ようやく顔を上げた。
「三福の方が名残惜しそうやね」
「寝かけちょっただけだ」
「もう一枚、よろしゅうお願いします」
 写真師が乾板を替えている。
 理一郎はそちらを見た。
「……まだあるんですか」
「次は、ちゃんとしたのを一枚」
「今のは何だったんですか」
 その返事がおかしかったのか、異紀が横で笑った。

◇

 写真が分館へ届いたのは、十日ほど後だった。
 封を切った異紀が、一枚を机の中央へ滑らせる。
「三福が主役になっちゅう」
 理一郎は筆を置いた。
「どれ」
 写真の中央に三福がいた。
 理一郎の膝の上で前足を揃え、いかにも最初からそこへ座る予定だったような顔をしている。
「……こいつだけ慣れちゅうな」
「鈴もよう似合う」
 異紀は三福を見ている。
 理一郎は、自分の衣装へ目を移した。
 紙焼きになると、白い骨が思った以上にはっきり出ている。肋骨も、腕も崩れていない。
 肩口だけ見えなかった。
「隠れちゅう」
「何が」
「鎖骨の端」
 異紀が覗く。
「ああ。わしの手やね」
 それだけ言って、今度は自分の袖へ目を移した。
「寄り目、おるかな」
「そこまで写るか?」
「おった」
 写真の端を指で示す。
 本当にいた。
 異紀が満足している横で、理一郎は写真を少し引き寄せた。
 自分の顔が目に入る。
 正面を見ていない。
 肩越しに、後ろへ顔を向けている。
 その眉間に力がない。
「……俺、こんな顔しちょったか」
「どれ」
 異紀がまた覗き込んだ。少しのあいだ見る。
「真を写すが写真やろ」
「要らんもんまで残るな」
「ほいたら返す?」
「……いや」
 机の下で物音がした。
 三福が出てきて、異紀の椅子の脚を嗅いだ。
「千両役者のお出ましや」
 三福は理一郎の足元へ回り、そのまま脛へ頭を押しつけた。
 異紀は笑って、自分の席へ戻る。
「これ、こっちの控えやろ?」
「ああ」
「ほいたら、頼んだ」
 理一郎は封筒を引き出しへ収めた。
 写真は台紙のまま、机脇の小棚へ立てかける。
 異紀の目が、そちらへ来た。
「そこ?」
「紛れん」
「そう」
 それ以上は言わず、異紀は帳面を開いた。
 理一郎も何事もなかったように筆を取る。
 向こうで、まだ少し笑う声がした。
「……仕事せえ」
「しゆうよ」
 三福が二人の机のあいだを横切った。
 首にはもう紐も鈴もない。
 小棚には、鈴を下げた三福と、その後ろの二人が残っていた。