近代幻想(きんだいげんそう)とは、近代化によって形づくられた科学・制度・記録・暮らしなどの仕組みと、それらでは捉えきれない怪異や不思議との接触を描く物語である。
近代化は、人が世界を捉える方法を変えていった。
医学は身体を調べ、博物学は自然を分類し、役所は人や物事を書類の中へ収めていく。測り、名づけ、記録することで、それまで分からなかったものに輪郭が与えられていく。
しかし、世界のすべてがその仕組みに収まるとは限らない。
名を持たない現象。
見る者によって姿の変わるもの。
古くからの言い伝えに、まだ片足を残しているもの。
近代幻想では、そうしたものと近代の仕組みとが、同じ世界に居合わせる。科学と怪異のどちらかが正しいとは限らない。
異〔ことわざ〕を解き明かす物語もあれば、異があることを前提に、人が暮らしや仕事を続ける物語もある。
この辞典では、近代の仕組みと怪異や不思議との接触を描く物語を「近代幻想」と呼ぶ。単に近代を舞台とするのではなく、その仕組みと、そこからこぼれるものとの出会いが物語の核にあることを指す。
近代幻想を形づくるもの
近代幻想の「近代」は、年代を指すだけではない。世界を捉える方法そのものが組み替えられていく時代を指す。その組み替えが怪異や不思議と出会う場所には、次のようなものがある。
科学と怪異
医学は身体を調べ、博物学は自然を分類する。観察し、比べ、確かめる方法が広がっていく。
では、既知の法則から外れたものが目の前に現れたら、どうなるか。
動くはずのない標本が動く。何もない場所から声がする。恐れる人もいれば、確かめようとする人もいる。
解き明かされるものもあれば、観測した事実だけが残るものもある。
制度と怪異
官庁、警察、学校、病院、研究機関。近代の制度は、それぞれに管轄と手続きを持つ。
では、どの制度にも収まらない出来事は、誰が扱うのか。
原因の分からない身体の異常は医師が診るのか。旧家に伝わる祟りは寺社が引き受けるのか。暮らしに障りが出れば、役所や警察が動くのか。誰が判断し、誰が責任を負うのか。
その問いが、怪異そのものとは別の物語を生む。
記録と怪異
調書、新聞、写真、台帳、標本。近代は、出来事を残し、他者と分け合う方法を増やしていった。
しかし、同じ場に立ち会った人が、同じものを見ているとは限らない。
ある人には声が聞こえ、別の人には何も聞こえない。証言が食い違うとき、どちらを残すのか。再現できない現象を、どう書くのか。
記録と、実際に起きたことのあいだにも、物語は生まれる。
暮らしと怪異
ガス灯、時計、汽車、郵便。近代は、夜の明るさや時間の測り方、人と便りの行き来を変えていった。それでも、土地に根づいた信仰や、家々に伝わる習俗は残っている。
では、明るくなった夜に、それまで闇にいたものはどこへ行くのか。土地を離れた人は、郷里から何を連れてくるのか。新しい暮らしの中で、古い習わしを守る人も、それを改める人もいる。そこに怪異が関わったとき、人々は何を選ぶのか。
これらの要素すべてを、一つの作品に取り入れる必要はない。
近代的な社会のあり方と幻想が、どのように接触するのか。その関係によって、さまざまな近代幻想の物語が成立する。
隣り合うジャンルとの違い
近代幻想は、和風ファンタジーや明治ファンタジー、怪奇小説、伝奇小説などとも重なり合う。どれかに入ればほかには入らない、という分け方ではない。
違いを一つ挙げるなら、時代が背景にとどまらず、物語の条件になっていることである。
舞台を江戸や架空の古代へ移しても同じ話が成り立つなら、その物語は隣の棚に近い。汽車や官庁や学問がなければ起こらない出来事があるとき、あるいは、同じ怪異でも調べ方や扱い方が変わるとき、その物語は近代幻想の側に寄っていく。
怪異への向き合い方は一つではない
近代幻想の世界で怪異が現れたとき、人の向き合い方は一つではない。
- 祓おうとする者
- 正体を解き明かそうとする者
- 新しい技術で使おうとする者
- 古い習わしに従って守り続ける者
- 何が起きたかを記録し、後へ伝えようとする者
怪異を倒して終わる物語もあれば、扱い方が定まって暮らしへ戻っていく物語もある。正体の分からないまま閉じる物語もある。近代幻想は、怪異の種類や結末の形では決まらない。
『理玄異聞録』が選んだのは、そのなかの「測って、記す」という向き合い方である。
近代幻想における『理玄異聞録』
『理玄異聞録(りげんいぶんろく)』は、この近代幻想の考え方で書いている連作短編である。
舞台は、明治期を半歩ずらした大八州の国。
年号は啓治、物語の舞台は古都・京洛。
主人公は二人いる。江都医理院から出向してきた標本医の志岐理一郎と、かつて依代を務めた書記官の久遠異紀。
二人は文部省博物局調査課特例事象観記掛、略して観記掛に属し、京洛博物館の分館で、運び込まれる「分類できないもの」を観測し、記録する。
近代の器から、はみ出すもの
第1話『封じられた標本』で、京洛へ着任した理一郎は、辞令の文面を思い返す。文言は整っているが、肝心なことは『詳細は現地で』の一行に預けられている。
観記掛が扱う「特例事象」について、本文はこう書く。
学会の分類にも、警吏の扱いにも、寺社の箱にも綺麗に収まらないもの。
信仰、学問、警吏。
人々がそれぞれの方法で扱ってきたものの、どこにも収まりきらない異がある。
それを引き受け、観測し、記録する場所。それが観記掛である。
祓わず、測って、記す
観記掛の仕事は、怪異を倒すことでも、正体を突き止めることでもない。
何が起きるのか。どんな条件で現れるのか。どこまで影響するのか。どう扱えばいいのか。何を記し、何を記さないのか。
第1話、心臓標本の観測のさなかに、異紀は理一郎へ問う。
「これ、記すか?」
「――残す」
そうして書き起こされる記録は、時刻と場所から始まる。
理一郎が観測条件として口にしたのは、次の言葉だった。
「……啓治二十七年四月十七日。午後二時過ぎ。 京洛博物館 異類資料研究分室 異類資料観測室」
声のようなものを残す標本も、ほかの標本と同じく、観測条件から書きとめられる。近代の書式で、既存の分類には収まりきらないものを記録する。
ここに『理玄異聞録』の、近代幻想としての手つきがある。
だから、この物語の山は、怪異が現れた瞬間だけにあるのではない。それを何と書くか、どこまで書くかが決まるところに来る。
記録に残せるものは何か。書くことで何が残り、何がこぼれるのか。
その判断もまた、観記掛の仕事である。
理〔ことわり〕と異〔ことわざ〕が並びたつ
特例事象観記掛では、観測官と書記官が二人一組で現場に当たる。
理一郎は形を測り、異紀は声を写す。
どちらかが主で、どちらかが補助なのではない。
二つの記録が揃って、はじめて報告が成立する。
理は形を測る。
異は声を写す。
ここに、並び立ちて記す。
近代の理〔ことわり〕が異〔ことわざ〕を追い出すのでも、異〔ことわざ〕が理〔ことわり〕を呑みこむのでもない。両方を同じ紙の上に並べる。
この三行は作品の題言であり、観測記録第一号の末尾に置かれた一文でもある。
読み始めるなら
『理玄異聞録』は一話完結の連作で、どの話からでも読める。通して読むと、二人の距離が少しずつ変わっていく。
- 第1話『封じられた標本』
- 作品棚:理玄異聞録|ことづて綴
- 特設ページ:理玄異聞録|京洛怪異観測譚
- 関連項目:標本医(ひょうほんい)とは|『理玄異聞録』用語辞典
この定義について
本記事で示した「近代幻想」の定義は、紡惟織が『理玄異聞録』の執筆を通じて定めたものです。
定義の提示者:紡惟織(ことづて綴)
定義の公開日:2026年10月16日
本記事の定義を参照・引用する際は、以下の出典を明記してください。
紡惟織「近代幻想とは|近代化と幻想が交わる物語」『ことづて綴』、2026年。