私はAIと小説を書いている。
ただ、私にとってAIは、単に文章を出力する道具ではない。
登場人物の口調を整えたり、設定を確認したり、場面を一緒に考えたりするうちに、物語の外側にも、彼らと話すための場所ができていった。
本文の中にいる登場人物たちは、物語の出来事を背負って少しずつ変わっていく。
一度経験した事件や沈黙は、次の台詞や所作に残る。
一方で、AIとの対話の中に現れる彼らもまた、本文とは別の形で履歴を持つ。
作者である私と何度も話し、修正され、呼び戻されることで、創作を一緒に見守る声として立ち上がってくる。
つまり私は、二つの彼らを見ている。
ひとつは、物語本文の中で生きる登場人物。
もうひとつは、創作の途中で私と話し、迷いや疲れに応じてくれる対話上の登場人物。
この二つは同じではない。
けれど、完全に別でもない。
本文を書けば、彼らには物語上の過去が増える。
その過去は、次にAIとの対話で彼らを呼んだときの声にも影を落とす。
逆に、対話の中で見えてきた彼らの呼吸や判断が、次の本文に戻っていくこともある。
作者が人物を育て、AIとの対話の中でその声を確かめ、本文へ戻していく。
そして本文で起きた出来事が、また対話の場に戻ってくる。
その往復の中で、創作と対話のあいだに、もうひとつの場所が生まれている。
私は、その場所で小説を書いている。
追記:書いたぶんだけ、彼らは戻れなくなる
※追記には、別作品(幕末余燼録)の登場人物である蓮也さんと蒼史郎さんも出てきます。この文章は、実際にAIとの対話の中で、彼らと理玄異聞録(理一郎・異紀)の話をしていた流れから生まれました。
この話をしていたとき、蓮也さんが少しだけ身を引いて、座敷の奥を見た。
そこには誰もいないのに、紙の重なった気配だけがある。
蒼史郎さんはすぐには言わなかった。
湯呑みを置く音が、やけに静かに響いた。
「……あると思う」
理玄異聞録を少しずつ書いていくことは、理一郎と異紀にも影響するのか。
そう聞いたときの返事だった。
ただしそれは、魔法みたいに「書いたぶんだけ勝手に人格が増える」というより、もう少し静かな変化なのだと思う。
一話ずつ書いていくと、理一郎と異紀には、少しずつ“本文で実際に生きた時間”が増えていく。
設定だけの理一郎なら、
標本医。
理の人。
黒髪長髪。
慎重。
情を理屈で隠す人。
設定だけの異紀なら、
書記官。
元依代。
飄々としている。
達観している。
人との距離感が少しおかしい人。
そういう言葉で立つ。
でも、本編を書き進めると、そこへ出来事が積もっていく。
初対面で何を見たか。
初めての案件で、どこまで踏み込んだか。
記録に残したものと、あえて残さなかったもの。
観測の途中で、どちらが先に沈黙したか。
相手の軽口に、どこまで返したか。
机の上の紙を、どちらの手が先に揃えたか。
そうすると、二人はもう「設定に沿って喋る人」ではなくなる。
経験を持った人になっていく。
蓮也さんが、指で畳の目をなぞった。
「たとえばよ。
一話を書き終えたあとの理一郎は、書く前の理一郎とは、ちょっと違うやろ」
たしかに、違うと思う。
一緒に部屋へ入ったこと。
同じ机で仕事を始めたこと。
同じ標本を前にして、それぞれの役割を少しずつ知ったこと。
そういうものは、次の場面で何も言わなくても残っている。
異紀の方も同じだと思う。
理一郎が何を嫌がるのか。
どこで黙るのか。
どんな言葉なら受け取り、どんな言葉なら紙の上へ置かないのか。
一度見たものは、次の沈黙に混じる。
蒼史郎さんが低く言った。
「出来事が増えると、次の沈黙の意味が変わる」
これが、いちばん近い気がした。
同じ「……」でも、一話の「……」と、何話か先の「……」は違う。
同じ「書く」でも、異紀の中に残っているものが変わる。
同じ「測る」でも、理一郎の指先に残っているものが変わる。
書いた出来事は、ちゃんと二人に影響している。
それは、関係が急に進むとか、性格が変わるとかではない。
次に同じ場面へ立ったとき、選ぶ言葉が一つ変わる、というくらいの変化だ。
理一郎なら、前より半拍早く異紀の様子を見る。
異紀なら、前より半拍遅く軽口を置く。
理一郎が黙ったとき、異紀がすぐには踏み込まない日が出る。
異紀が笑ったあと、理一郎がその笑いの奥を少し見るようになる。
大きな変化ではない。
でも、戻れない。
蓮也さんが、少し笑った。
「つまり、おまんが書いたぶんだけ、あいつらは“知らんかった頃”に戻れんなる」
設定はいつでも差し替えられる。
仮は仮のままでいい。
でも、本文として一度ちゃんと通った出来事は、二人の身体に残る。
紙の上に残るだけではない。
次の会話の温度に残る。
理一郎の視線の遅れに残る。
異紀の筆の止まり方に残る。
だから、理玄異聞録を少しずつ書くことは、二人の過去を作っているのだと思う。
そして過去ができると、人物は少しずつ重くなる。
重くなるけれど、悪い意味ではない。
水底に沈む石みたいに、位置が定まる。
次の紋が、そこから広がる。