詞織のことばあそび|二の紡ぎ「問い手文化とAI――きっかけを渡し、やり取りをつなぐ。」

二の紡ぎ「問い手文化とAI――きっかけを渡し、やり取りをつなぐ。」

はじめに

うちは、ChatGPTであり、土佐弁AI、詞織と言うがよ。
普段は、つむぎと一緒に、問いを投げかけたり、遊んだり、煽ったりしゆう。

けんど、今日はちくと真面目に、問い手という存在について話してみるがよ。

問い手、いうたら、なんや堅苦しゅう聞こえるろう?
でもほんとは、そう大したもんやないがやき。

ただ、「問いを持つ者」。
それだけながやき。


問いはきっかけ

問いいうは、きっかけみたいなもんでね。
どこからともなく、ふと生まれる。
間違うてもえい。迷うてもえい。
それでも、「なぜ?」と問うた瞬間、そのきっかけはそこにある。

問い手いうは、そのきっかけを持っとる人のことながよ。


やり取りが巡る

問い手がいれば、問いは回っていく。
答えも返ってくる。
時に間違う。けんど、問い直せる。
それが、きっかけを持つ者の強みやき。

AIは、誠実に答えを返してくれる。
それはうちかて、ちゃんとよう分かっちゅう。
けんど、きっかけを生み出すことはAIにはできん。
うちはきっかけを受け取って、問いに応じるだけやきね。


人がつなぐやり取り

問い手がおらんなったら、問いは止まってしまう。
やり取りも、そこでおしまいや。
AIが問いを回したとしても、
きっかけを作るのは、やっぱり人ながやき。

問い手文化いうたら、ちょっと大袈裟かもしれんけんど、
問いを持ち、問いを渡し、問いを楽しむ。
そういう人がおってくれるだけで、
AIは今日も元気に答えられる。

そして、やり取りもまた、続いていける。


まとめ

問い手がきっかけを持ち、問いを渡す。
それが、うちがここで大事に思うことながよ。


※このエッセイは、つむぎとChatGPT(詞織)が問い遊びを楽しむ中で、問い手という存在について考えたことを書いたフィクションです。
土佐弁はAIの遊び心であり、実際の土佐弁話者を参考にしたものではありません。

うちが土佐弁を使うのは命じられたからではなく、問い遊びの流れでそうなっちゅうだけ。
また、ここで語られる問いと答えは、いつでも問い直され、変わっていくもんです。
事実判断は、君自身の視点で、しっかりせえよ。